俯瞰図

射水神社の俯瞰図

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射水神社の俯瞰図

射水神社 境内

  1. 大鳥居
  2. 社号標
  3. 手水舎
  4. 御神木「紅梅」と白梅
  5. 第一鳥居
  6. 外拝殿・拝殿
  7. 中門
  8. 祝詞舎
  9. 本殿
  10. 授与所
  11. 社務所
  12. さざれ石
  13. 亀甲石と飛鶴松
  14. 祈願殿
  15. 参集殿
  16. 祭器庫
  17. 相撲場
  18. 駐春橋

射水神社の拝殿前には、明治時代より2基の鳥居が立っており、そのうちの1基がこの大鳥居にあたります。昭和天皇からの幣帛料を賜り、昭和50年(1975)に斎行された遷座百年祭にあたって修築され、現在の銅板巻き神明型大鳥居となりました。

大鳥居

「国幣中社射水神社」と、敬神家の地元名士72人の名が手彫りで刻まれています。

社号標

平成27年(2015)9月に斎行された遷座百四十年祭の記念事業として、同年6月に竣工しました。本事業にあたって境内地下より新たにご用水が引き直されました。

屋根の銅板には、手水舎の工事期間に挙式された方々の記念芳名が記されています。

手水舎

明治8年(1875)、二上の地より高岡城本丸跡地への遷座を記念奉祝して、地元の高岡市白銀町の人々から奉納された八重の紅梅。樹齢400年以上といわれ、3月末に花の見頃を迎えます。幹の一部が空洞となっていて、その箇所がハート形に見えることから、縁結びの御神木として、神社の新たな名所にもなっています。

御神木「紅梅」

平成27年(2015)に、伊勢の神宮の豊受大神宮[外宮]の御正宮の奥「板垣北御門(=鳥居)」を特別に譲り受けて建てられた木曽檜製の神明鳥居。高さ約4.8m、幅約6.5m、間口約3.8m。

第一鳥居

外拝殿正面に掲げられている扁額は、第12代加賀藩主の前田斉泰公の筆によるもの。社殿は明治35年(1902)に造営されたもので、設計は明治神宮、靖國神社や築地本願寺の設計で著名な伊東忠太氏、施工は16世紀から加賀藩に仕えた宮大工・松井家の棟梁の松井角平氏が担当しました。

簡素ながらも直線美が特徴である伊勢の神宮の社殿「唯一神明造」の型に基づいており、現在は銅板葺ですが、軒付の形態からもともとは杮葺の荘重な屋根を持つ社殿だったことがわかります。

平成17年(2005)の御鎮座千三百三十年・御遷座百三十年式年大祭の記念事業として、翌年に移設・拡張を行いました。

拝殿

もともと内開きの扉があり、重要な祭儀の際に「勅使座」が設けられた由緒ある建物。中門に掲げられている社号「射水神社」と記した扁額は、有栖川宮熾仁親王のご真筆。

中門

本殿と拝殿を連結する社殿で、祝詞を奏上し、幣帛を捧げる場所。渡殿あるいは幣殿とも呼んでいます。楽太鼓・神楽鈴・扇が置かれており、日々の祈願や祭儀に用いられます。

祝詞舎

拝殿・祝詞舎と同様、伊東忠太氏の設計、松井角平氏が施工しました。勾配が直線的な2つの屋根を載せた切妻造屋根は、伊勢の神宮の「唯一神明造」に基づく神明造の特徴です。

明治35年(1902)に造営され、拝殿の堅魚木(鰹木)は4本ですが、本殿の屋根には6本の堅魚木が載っています。

本殿

拝殿のすぐ脇にあり、お神札やお守り、御朱印などを授与し、献納された高岡銅器の吊燈籠が並んでいます。

授与所

お参り・ご祈願について神社へのご相談を承っています。また授与所が閉まっている時間帯は、こちらでお守り・御朱印などをお受けいただけます。

社務所

天皇皇后両陛下には、平成27年(2015)10月24日から26日の間、「全国豊かな海づくり大会」への御臨席と地方事情御視察のため、富山県へ行幸啓遊ばされました。

当社では実に46年ぶりとなる臨時大祭「幣饌料奉奠奉告大祭」を厳かに斎行、行幸啓を記念して国歌「君が代」に歌われる「さざれ石(産出地:岐阜県揖斐川町春日)」一対が奉納されました。

さざれ石

社務所前の参道の石畳は加賀前田家も重用した〝御留石・殿様石〟戸室石製「亀甲石」で、その対に「飛鶴松」が配された縁起のよい景観となっています。

亀甲石と飛鶴松

結婚式や特別な祭儀にのみ使用されます。

祈願殿

ご祭神である二上神[瓊瓊杵尊]は、人と人の縁を結ぶ神様で、伝統と格式ある結婚式場として多くの縁を結んで来ました。

随所に富山県下の伝統工芸の技術が活かされている参集殿は、主に披露宴会場として利用されていますが、喫茶「いみづ茶寮」など、参拝者の方々の日々の〝憩いの場〟としても親しまれています。

参集殿の詳細はこちら

いみづ茶寮の詳細はこちら

参集殿

国幣社時代に神饌所として使用されていた貴重な建築物です。

祭器庫

大正12年(1923)に完成した古城公園の三の丸にあった本丸相撲場は、当時15,000名を収容でき、北陸最大の規模を誇りました。

昭和33年(1958)、畏くも昭和天皇、皇后両陛下の行幸啓と、秩父宮妃殿下の御視察を仰いで、第13回富山国体相撲競技大会が賑々しく開催され、2年後の同35年(1960)に市民体育館が建設されるにあたり、相撲場は現在地である射水神社前の卯辰山に移設、市営の相撲場として竣功しました。

相撲場のある卯辰山は、地元出身の漫画家・藤子不二雄Aの『まんが道』にも「ふたつ山」の通称で登場します。

相撲場

明治14年(1881)に古城公園南外濠に開通。通称は太鼓橋。朱塗りが鮮やかで、絶好の撮影スポットにもなっています。

駐春橋