俯瞰図

名称を選択していただくと、説明へ移動します。
番号にマウスを合わせていただくと名称が表示されます。


大鳥居

社号標
「国幣中社射水神社」と、敬神家の地元名士72人の名が手彫りで刻まれています。明治44年(1911)9月建立。
また、当月に行われる祭事は、隣接の案内板で確認することが出来ます。

手水舎
平成27年(2015)9月に斎行された遷座百四十年祭の記念事業として、同年6月に竣工しました。本事業にあたって境内地下より新たにご用水が引き直されました。
屋根の銅板には、手水舎の工事期間に挙式された方々の記念芳名が記されています。

御神木「紅梅」と白梅
明治8年(1875)、二上の地より高岡城本丸跡地への遷座を記念奉祝して、地元の高岡市白銀町の人々から奉納された八重の紅梅。樹齢400年以上といわれ、3月中旬に花の見頃を迎えます。幹の一部が空洞となっていて、その箇所がハート形に見えることから、縁結びの御神木として、また「ウメ(梅)」が「産(ウメ)」に通じることから、安産・子授け・子孫繁栄の象徴として、神社の名所にもなっています。
白梅は、御神木・紅梅と対になるよう、平成3年(1991)に地元企業より奉納されました。

第一鳥居
平成27年(2015)に、伊勢の神宮の豊受大神宮[外宮]の御正宮の奥「板垣北御門(=鳥居)」を特別に譲り受けて建てられた木曽檜製の神明鳥居。高さ約4.8m、幅約6.5m、間口約3.8m。
かつて同じ場所には、昭和御大礼の御下賜鳥居が建っており、当時の記録を参考とし、86年ぶりに行った鳥居奉曳祭を伴う現鳥居の建立によって、往時の姿が蘇りました。

外拝殿・拝殿
外拝殿正面に掲げられている扁額は、第12代加賀藩主の前田斉泰公の筆によるもの。社殿は明治35年(1902)に造営されたもので、設計は明治神宮、靖國神社や築地本願寺の設計で著名な伊東忠太氏、施工は16世紀から加賀藩に仕えた宮大工・松井家の棟梁の松井角平氏が担当しました。
簡素ながらも直線美が特徴である伊勢の神宮の社殿「唯一神明造」の型に基づいており、現在は銅板葺ですが、軒付の形態からもともとは杮葺の荘重な屋根を持つ社殿だったことがわかります。
平成17年(2005)の遷座百三十年祭の記念事業として、翌年に移設・拡張を行い、令和7年(2025)の遷座百五十年祭に合わせ、銅板屋根の葺き替え修復を約半世紀ぶりに行いました。

中門
伊東・松井両氏によって、明治35年(1902)に造営された建造物の一つで、重要な祭儀の際に「勅使座」が設けられた由緒ある建物。中門に掲げられている社号「射水神社」と記した扁額は、有栖川宮熾仁親王のご真筆。
遷座百五十年祭の記念事業「明治時代の御社殿復元事業」により、取り外されていた内開きの御門を復元しました。なお、復元工事は、松井建設㈱[旧:松井組]・井波社寺建築が担当しました。

祝詞舎
中門を経由して本殿と拝殿を連結する社殿で、祭儀や祈願の際に祝詞を奏上し、幣帛を捧げる重要な場所。祝詞殿あるいは渡殿や幣殿とも呼んでいます。
平成11年(1999)の整備工事で床板の張られた時期もありましたが、遷座百五十年祭の御社殿復元事業で、旧来通りの土間石張りの社殿へと改修しました。松井建設㈱[旧:松井組]・井波社寺建築が復元工事を担当しました。

本殿
高岡大火の2年後、明治35年(1902)に造営された建物です。富山県下で最高位の国幣中社であった当神社の復興・再建には、当時、東京帝国大学教授と内務省社寺局の技師を兼務し、全国の社寺建築に携わっていた伊東忠太博士が設計を担当、県出身で名門宮大工の家系を受け継ぐ松井家の棟梁・松井角平氏が指名され、伊東博士の指示に忠実に応えた松井棟梁らにより神聖にして荘厳で精緻な社殿の造営は完遂しました。
勾配が直線的な2つの屋根を載せた切妻造屋根は、伊勢の神宮の「唯一神明造」に基づく神明造の特徴です。拝殿の堅魚木(鰹木)は4本ですが、本殿の屋根には6本の堅魚木が載っています。

授与所
拝殿のすぐ脇にあり、お神札やお守り、御朱印などを授与しています。軒天には、献納された高岡銅器の吊燈籠が並んでいます。

社務所
お参り・ご祈願について神社へのご相談を承っています。また授与所が閉まっている時間帯は、こちらでお守り・御朱印などをお受けいただけます。

さざれ石
天皇皇后両陛下には、平成27年(2015)10月24日から26日の間、「全国豊かな海づくり大会」への御臨席と地方事情御視察のため、富山県へ行幸啓遊ばされました。
当社では実に46年ぶりとなる臨時大祭「幣饌料奉奠奉告大祭」を厳かに斎行、行幸啓を記念して国歌「君が代」に歌われる「さざれ石(産出地:岐阜県揖斐川町春日)」一対が奉納されました。

亀甲石と飛鶴松
社務所前の参道の石畳は加賀前田家も重用した〝御留石・殿様石〟戸室石製「亀甲石」で、その対に「飛鶴松」が配された縁起のよい景観となっています。

鳳凰殿
旧儀式殿で、神前式を行う主要な社殿として、これまでも多くの結婚式を行ってきました。
令和7年(2025)の遷座百五十年祭の御神幸で、御祭神・二上神がお乗りになられた「御鳳輦」を奉安する社殿として、数多の文化財修復を手掛けている舟木工匠の設計・施工により増築・改装が行われました。
社殿の内外観や新設された刎高欄の舞台からは職人の精緻な技術が見られ、今後も神前結婚式や特別な祭儀に使用します。

参集殿
ご祭神である二上神[瓊瓊杵尊]は、人と人の縁を結ぶ神様で、伝統と格式ある結婚式場として多くの縁を結んで来ました。
随所に富山県下の伝統工芸の技術が活かされている参集殿は、主に披露宴会場として利用されていますが、喫茶「いみづ茶寮」など、参拝者の方々の日々の〝憩いの場〟としても親しまれています。

祭器庫
国幣社時代に神饌所として使用されていた貴重な建築物です。本殿・拝殿・中門と同様、伊東忠太氏の設計、松井角平氏が施工しました。
保存・活用のために曳屋で現在の場所に移されました。

相撲場
大正12年(1923)に完成した古城公園の三の丸にあった本丸相撲場は、当時15,000名を収容でき、北陸最大の規模を誇りました。
昭和33年(1958)、畏くも昭和天皇、皇后両陛下の行幸啓と、秩父宮妃殿下の御視察を仰いで、第13回富山国体相撲競技大会が賑々しく開催され、2年後の同35年(1960)に市民体育館が建設されるにあたり、相撲場は現在地である射水神社前の卯辰山に移設、市営の相撲場として竣功しました。
相撲場のある卯辰山は、地元出身の漫画家・藤子不二雄Aの『まんが道』にも「ふたつ山」の通称で登場します。

駐春橋
明治14年(1881)に古城公園南外濠に開通。通称は太鼓橋。朱塗りが鮮やかで、絶好の撮影スポットにもなっています。


射水神社の拝殿前には、明治時代より2基の鳥居が立っており、そのうちの1基がこの大鳥居にあたります。昭和天皇からの幣帛料を賜り、昭和50年(1975)に斎行された遷座百年祭にあたって修築され、現在の銅板巻き神明型大鳥居となりました。