二上山に鎮まる神にして、
天照大御神の御名代として地上に降臨された天孫

祭神名

二上神ふたがみのかみ[瓊瓊杵尊ににぎのみこと]

霊山・二上山に鎮まる 越中を守護する豊穣・みちひらきの神

有栖川宮熾仁親王 御真筆(明治8年12月奉納)

有栖川宮熾仁親王 御真筆(明治8年12月奉納)

射水神社はもともと、霊山である二上山そのものを祀る社であったと考えられています。古記録に、当社のご祭神は「二上神」と記されており、神仏混淆(しんぶつこんこう)が主流だった江戸時代までは、「二上山大権現(ふたがみやまだいごんげん)」として人々に崇敬されてきました。その後、明治時代には政府による神仏分離令を受け、二上神は瓊瓊杵尊として祀られるようになりました。

ご神紋

ご神紋

瓊瓊杵尊は、有名な「天孫降臨」(てんそんこうりん)神話の主人公で、神代の昔、祖母の天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御名代(ごみょうだい)として葦原中国(あしはらのなかつくに)に降臨された天津神(あまつかみ)です。

天孫降臨の際、天照大御神は「八咫鏡」(やたのかがみ)、「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)、「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)の三種の神器に加え、高天原(たかまのはら)の稲穂を授けて地上で育てるよう事寄せられました。すなわち、射水神社のご祭神は豊穣・みちひらきの神様であり、ご神紋(しんもん)が「御鏡に稲穂」なのはこの神話伝承に基づいています。

有栖川宮熾仁親王 御真筆(明治8年12月奉納)

有栖川宮熾仁親王 御真筆(明治8年12月奉納)

ご神徳

  • 五穀豊穣
  • 商業繁栄
  • 家内安全
  • 縁結び
  • 開運厄祓
  • みちひらき

稲穂を地上にもたらされた瓊瓊杵尊は農業神として崇敬されており、豊かな実りは商業繁栄はもとより全ての産業の発展に通じるご神徳です。縁結びは、天孫降臨に随伴された神々の一柱である天宇受賣命(あめのうずめのみこと)と猿田毘古神(さるたひこのかみ)を、瓊瓊杵尊が娶(めあ)わせた神話に由来しています。

越中総鎮守一宮として その威容を誇る古社

越中国は古くから名の知られた神社が鎮座されるなかで、当社は神社の戸籍帳とも云われる『延喜式』神名帳(出雲本)において国内唯一の名神大社、また加賀国一宮の白山比咩神社に伝わる『白山之記』(国指定重要文化財)では「越中一宮」と記されています。

「射水(いみず)」という社名は平安時代初期の『国造本紀』に記された「伊弥頭(いみづ)国造」に由来するとされ、平安時代より前から当地の豪族を中心に信仰されていたことが推察されます。

創祀は太古で、当初は現在の鎮座地から5kmほど北の大伴家持卿由来の名勝・二上山の山麓に鎮座され、祭祀が行われていました。当時の領域は、二上荘67ヵ村、二上神を二上権現として祀った別当寺を含めた社寺は二上全山に亘り22万余坪に達したといわれ、越中国全土の各戸より毎年「初穂米一升二合」奉納の制度があり、隆盛を極めました。以後、戦国期に戦災で社殿を焼失したこともありますが、皇室や武将の尊崇も篤く、江戸時代には加賀藩の祈祷所になるなど、越中国一宮としての格式を保持してきました。

当社はこの地で千年超を過ごし、明治4年(1871)に越中最高位の「国幣中社」に列格、その4年後、高岡城跡(国指定史跡[平成27年4月指定])の「高岡古城公園」へ遷座されました。江戸時代の城跡に社殿を構える一宮は全国で当社のみです。

御遷座直後の大拝殿「越中国高岡国幣中社射水神社ノ図」(宮内庁書陵部蔵)

御遷座直後の大拝殿「越中国高岡国幣中社射水神社ノ図」(宮内庁書陵部蔵)

初代加賀藩主・前田利長公ゆかりの高岡古城公園は、富山県高岡市の中心に位置し、四季折々の表情が豊かな約21万㎡という広大な公園の中央、本丸跡に神社は鎮座しています。

現在の神明造の社殿は明治35年(1902)造営。その2年前に起きた高岡大火からの再建で、建築界で初めて文化勲章を受けた伊東忠太氏が設計を、加賀藩の御用を勤めて松井建設を設立した松井組の松井角平氏が施工を担当しました。

また、昭和4年(1929)の昭和天皇即位の礼・大嘗祭にあたって下附された鳥居が拝殿前に建造されており、平成27年秋に行われた10年に1度の式年大祭に合わせて伊勢の神宮から鳥居が特別に譲与され、同年4月5日には県下一円の崇敬者により、ご用材の奉曳行事が行われました。本鳥居(第一鳥居)の建立によって、社頭に往時の姿が蘇りました。

古城公園空撮

昭和天皇即位の礼、御下賜鳥居(絵葉書「(高岡名勝)射水神社」)

昭和天皇即位の礼、御下賜鳥居(絵葉書「(高岡名勝)射水神社」)

神宮御下賜鳥居(鳥居奉曳祭)

神宮御下賜鳥居(鳥居奉曳祭)

射水神社年表

年表はこちら
天平宝字元年(757)   北陸道の一帯であった「越(高志)」より能登を分離
宝亀11年(780) 12月14日 従五位下に昇叙(『続日本紀』)
延暦14年(795) 8月18日 従五位上に昇叙(『日本紀略』)
承和7年(840) 9月29日 従四位上に昇叙(『続日本後紀』)
仁寿4年(854) 3月7日 従三位に昇叙(『文徳実録』)
天安3年(859) 1月27日 正三位に昇叙(『日本三代実録』)
延喜5年(905)   『延喜式』神名帳に越中国三十四座中、唯一の名神大社として記される(出雲本『延喜式』)
長寛元年(1163)   「越中一宮」であることが記される(『白山之記』)
文明7年(1475)   越中国一円の棟別銭によって二上社が造営される
慶長15年(1610)   前田利長が御供田を寄進、越中四郡から知識米軒別一升二合の徴収を許される
明治4年(1871) 5月14日 国幣中社に列格
10月15日 明治天皇大嘗祭に際し勅使差遣奉幣あり
8年(1875) 9月16日 二上山より高岡公園本丸跡に遷座
10年(1877) 6月25日 二上村の氏子からの請願により射水神社の分社を創設
11年(1878) 10月1日 車駕北陸道御巡幸に際し勅使差遣奉幣あり
14年(1881) 1月 大拝殿が大雪の為で倒潰
15年(1882) 5月 拝殿を再建
22年(1889) 2月11日 皇室典範及び憲法御治定に際し奉告の為、勅使差遣奉幣あり
33年(1900) 6月27日 高岡大火にて社殿が類焼
34年(1901) 9月6日 内務省より社殿新築工費として金貮萬五百圓が下附される
35年(1902) 8月30日 本殿、拝殿、神饌所、社務所の四棟が竣工
10月13日 御遷宮式を斎行
37年(1904) 2月17日 対露開戦奉告の為、勅使差遣奉幣あり
38年(1905) 12月7日 平和克服奉告の為、勅使差遣奉幣あり
42年(1909) 10月2日 皇太子殿下北陸道行幸に際し勅使差遣奉幣あり
大正2年(1913)   遷座四十年祭を斎行
4年(1915) 11月14日 大正天皇大嘗祭に際し勅使差遣奉幣あり
12月 大正天皇の御大典記念として市民有志等によって献楽会が組織され、神楽殿が奉建される
13年(1924) 9月13日 遷座五十年祭を斎行 高野義太郎著『国幣中社射水神社志』発行
昭和3年(1928) 11月14日 昭和天皇大嘗祭に際し勅使差遣奉幣あり
4年(1929) 10月1日 宮内省より京都皇宮内大礼建造物の一部を下附される
9年(1934)   遷座六十年祭を斎行
14年(1939) 7月15日 国幣大社昇格について内務省神社局に打診
19年(1944)   戦時下により遷座七十年祭を斎行できず
29年(1954) 9月11日 遷座八十年祭を斎行
39年(1964) 9月11日 遷座九十年祭を斎行
44年(1969)   「第20回 全国植樹祭」に際して幣饌料を賜る
50年(1975) 4月23日 天皇陛下より幣帛料を賜り遷座百年祭を斎行
平成17年(2005) 9月14日 遷座百三十年祭 神輿渡御 前日祭
9月15日 遷座百三十年祭 神輿渡御
9月16日 遷座百三十年祭 式年大祭
9月17日 遷座百三十年祭 稚児社参・神賑行事
27年(2015) 9月16日 遷座百四十年祭 御遷座当日祭
9月21日 遷座百四十年祭 稚児社参・神賑奉納行事
9月22日 遷座百四十年祭 神輿渡御
9月23日 遷座百四十年祭 式年大祭・慶賀祭
9月24日 遷座百四十年祭 後日祭
10月17日 神嘗祭遙拝・奉祝祭に併せて、天皇皇后両陛下富山県行幸啓奉告祭を斎行
10月24日 「第35回 全国豊かな海づくり大会」幣饌料奉奠奉告大祭を斎行
29年(2017) 5月27日 「第68回 全国植樹祭」幣饌料奉奠奉告大祭を斎行