令和7年(2025)は、ご祭神の「二上神」が、かつてお鎮まりになられていた二上山から古城跡へ遷座されてより150年の節目にあたります。

神山との古来の地縁を繋ぎ、さらなる御神威の発揚につとめるため、10年に1度の式年大祭をご崇敬の皆様とともに麗しく、賑々しく執り行いたく存じます。

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古代において射水神社は『延喜式』にも記された官社であり、越中国(富山県の古称)のなかで唯一の名神大社として、その御神威は広く朝野に知れわたり、越中国の大守護神として尊崇されてきました。

奈良時代には、勅命により越中全土の各戸より初穂米奉納の制度が設けられ、国司の補任にあたっては国家安穏・五穀豊穣を祈願する「越中国一宮」として隆盛を極め、戦国期以降も歴代藩主の特別な崇敬を受けました。

明治4年(1871)の近代社格制度によって、射水神社は全国多くの一宮と同様に国幣中社に列格。現鎮座地の高岡城本丸跡には越中四郡(砺波・射水・婦負・新川)の民費で社殿が造営され、同8年9月16日、盛大かつ厳粛に「遷座祭」が斎行されました。

明治33年(1900)、高岡大火により類焼し、社殿樹叢を悉く焼失しましたが、同35年(1902)に官費で再建されましたのが現在の社殿です。

その後、終戦によって官費を断たれた神社の護持は厳しさを極めましたが、神社附属の奉賛組織として「事誠会」や各郡内に事務局を置く「奉斎会」が起ち上げられ、今日の「崇敬奉賛会」に至るまで、広く県内外より崇敬奉賛の赤誠が捧げられています。

特に、昭和50年(1975)には、畏き辺りより幣帛料を賜り、遷座百年祭が麗しく斎行されました。

御遷座150年祭

令和7年9月 斎行 (※日程決まり次第お知らせ致します)

[主な祭典行事]※予定

一、式年大祭・慶賀祭
一、二上御神幸(神輿渡御)
一、神楽祭
一、稚児社参
一、神賑奉納行事
一、顕彰祭 等

※写真は平成27年の御遷座140年祭のものです。